学校案内

理念・沿革

建学の理念

人は人のために

尽くすをもって

本分とすべし

創立者村野山人翁の遺訓を建学の理念としています。本校は山人翁の「立国の基は工業の振興にあり」との信念により創立され、爾来、一貫して真に公共に貢献しうる人材の育成に努めています。

校章の由来

彩星工科高等学校ロゴ

「彩星」は、夜空を彩る、満天の星をイメージした名前です。
この名前には三つの思いと願いを込めました。

一つは、生徒一人ひとりが、可能性を信じ、輝かせ、未来へ羽ばたいてほしい。そして一人ひとりがオンリーワンのスーパースターになってほしい。そのために、一人ひとりに最適な、多種多様な学びを提供し続けたい。

もう一つは、生徒一人ひとりの生み出す夢や感動、それを分かち合える教職員のよろこび、そんなハピネスが循環する学び舎でありたい。この場で育まれた「人とものづくり」が、地元長田から、兵庫県、日本、そして世界へと拡がり、地球という星をハピネスで彩る。希望ある世界や地球(ほし)の未来をみんなで分かち合いたい。

そしてもう一つ。100年を超えて培った神戸村野工業高校の強さと魅力をこれからも大切に未来へ受け継ぐ。そのために学校のシンボルマークであった「星」を名前に入れました。

今まで、神戸村野工業高校は「村工」という愛称で親しまれてきました。彩星工科高校も略すと「彩工」になります。彩星工科高校は「サイコー!」です。

本校沿革

大正9年11月財団法人神戸村野徒弟学校設置認可
大正10年1月名称を神戸村野工業学校と改称、機械科設置
大正10年2月前兵庫県立工業学校長大野部一郎、校長として就任
大正10年4月入学式を挙行
昭和3年4月電気分科・紡績分科設置
昭和16年8月前大阪府立堺工業学校長小山平治、校長として就任
昭和17年4月電気分科・紡績分科を廃止、電気科・造船科を設置
昭和22年3月造船科廃止
昭和23年7月学校教育法により神戸村野工業高等学校と改称
昭和26年3月財団名義を学校法人神戸村野工業高等学校と改称。
村野利美、理事長として就任
昭和38年5月前兵庫県立兵庫工業高等学校長千葉正規、校長として就任
昭和46年11月創立50周年記念式典挙行
昭和50年4月普通科設置
昭和54年3月第2運動場取得(稲美グラウンド)
昭和56年11月創立60周年記念式典挙行
昭和57年7月村野利昭、理事長として就任
昭和58年5月前兵庫県立姫路工業高等学校長竹内幸夫、校長として就任
昭和63年4月情報電子科設置
平成元年3月情報電子科実習室竣工(第3実習棟)
平成2年4月機械科4学級・電気科4学級・情報電子科2学級・普通科3学級、生徒定員1950名
平成3年11月創立70周年記念式典を挙行(1991年)
平成7年1月阪神・淡路大震災により体育館、第1校舎、記念館をはじめ
その他各校舎・校地などに大きな被害発生
平成7年8月機械電子科設置認可・情報電子科を情報技術科と改称
平成8年3月第1校舎新築復旧工事完了
平成8年4月機械科3学級・電気科3学級・情報技術科2学級・機械電子科2学級・普通科3学級、生徒定員1755名
平成8年10月阪神・淡路大震災の新築復旧工事(体育館兼講堂・記念館など)完了
平成9年3月第2実習棟改修(機械電子科実習室)
平成10年4月前兵庫県立姫路工業高等学校長田村彰吾、校長として就任
平成12年11月創立80周年記念式典を挙行(2000年)
平成13年4月機械科4学級・電気科2学級・情報技術科2学級・機械電子科2学級・普通科3学級、生徒定員1755名
平成16年8月第2・3校舎耐震補強
平成17年8月第1・2実習棟耐震補強
平成17年10月第3運動場取得(ひよどりグラウンド)
平成18年4月前兵庫県立尼崎工業高等学校長櫻井和雄、校長として就任
平成18年8月本館耐震補強
平成18年11月ひよどりグラウンド竣工式挙行
平成22年11月創立90周年記念式典を挙行(2010年)
平成26年9月台風11号によるひよどりグラウンド災害復旧工事
平成28年4月前兵庫県立星陵高等学校長吉田耕造、校長として就任
平成28年6月村野利樹、理事長に就任
平成28年9月食堂リニューアル、Yショップ(コンビニ)オープン
平成31年4月普通科コース制開始
令和2年10月ひよどり体育館竣工
令和2年11月創立100周年記念式典を挙行(2020年)
令和5年4月彩星工科高等学校に学校名変更